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秩父札所17番【定林寺】日本百観音が刻まれた梵鐘は埼玉県指定有形文化財

秩父札所巡り
定林寺
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【定林寺】基本情報

実正山 定林寺
■住所:埼玉県秩父市桜木町21-3
■宗派:曹洞宗
■本尊:十一面観世音菩薩
■駐車場:あり
■電話:0494-22-6857
【御朱印受付 基本情報】
■受付時間:8:00~17:00
 ※11月~2月は16:00まで
 ※12:00~12:30は昼休憩
■定休日:なし
■御朱印料:500円
 ※2巡目以降は200円

鐘楼の梵鐘が埼玉県の有形文化財に指定されている寺院。草創の詳細はわかっていないが、妙見社(現在の秩父神社)のもとで情報の伝達や取り次ぎ役の触役を務めた林家の持寺として建てられたこともあり、定林寺は「林寺」とも称される。また、壬生良門という勇将の家臣だった林太郎定元が主に諫言したため追放されたが、のちに過去を悔いた良門が定元の子を引き立て、定元夫婦の菩提を弔うために堂宇を建立したという縁起が残っている。ちなみに、室町時代の長享2年(1488)に書かれた「秩父観音札所番付」では、定林寺は1番札所とされていた。方形造りの観音堂は4間(約7.3m)四面で、江戸時代中期に建造。本尊の十一面観世音菩薩は寄木造りの立像で、高さは1尺8寸5分(約56cm)、鎌倉時代末期の作とされる。

Kとの秩父札所巡りで32番目に訪れたお寺。
国道299号と荒川に挟まれた地域に「定林寺」はひっそりと立っている。このあたりは住宅街だが、お寺の周囲は緑が多い。

なお、「定林寺」の駐車場は観音堂から少し離れたところにある。
とはいえ、駐車場から「定林寺」までは歩いて1~2分程度。駐車場からは「定林寺」の木立が見えるので、そちらを目印にして向かうといいだろう。

駐車場から「定林寺」までは数分歩く。

日本百観音のご本尊が彫られた梵鐘

「定林寺」に向かって歩いていると、観音堂に続いて目に入ってくるのが鐘楼だ。こちらの鐘楼に吊り下げられた梵鐘は埼玉県指定有形文化財になっている。
梵鐘は高さ138cm、直径77cmで、西国・坂東・秩父の日本百観音霊場のご本尊が浮き彫りにされているのが特徴。さらに、よく見ると各札所の御詠歌も刻まれているのがわかる。
こちらの梵鐘が鋳造されたのは江戸時代中期の宝暦8年(1758)、由来は以下のとおりである。

「定林寺」の鐘楼。

ある女性が妊娠している最中に札所巡礼を行っていたとき、この地で赤子を出産。女性は赤子を沼に捨てて巡礼を続けたという。
女性が結願ののち家に帰ると土間に捨てたはずの赤子がいて、土間を掘り返すと「定林寺」のご本尊の御影があった。そのため、女性は自分の行為を反省し、梵鐘を寄進したという話だ。

鐘楼から観音堂の前に行くには数段の石段を上ることになるのだが、こちらの石段の周りには手水鉢、お地蔵さまが祀られた祠などがある。お地蔵さまが安置された祠には、他に巳待供養塔、念仏供養塔も祀られていた。

また、参道を挟んで鐘楼の反対側にある墓石には「林翁~」という戒名が刻まれており、「定林寺」と縁の深い林家のものと思われる。林家の方々はすでに秩父の地を離れており、現在は近隣の方々が「定林寺」を管理しているとのことだ。

石段そばの手水鉢。
お地蔵さまの祠。
林家のものと思しき墓石。
従軍記念碑。
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観音堂の裏堂でご本尊と縁を結ぶ

「定林寺」の観音堂は内陣を四天柱で囲みつつ、その周りに古式の阿弥陀堂のような念仏回廊を備え、正面と左右を吹放ふきはなしにしているのが特徴だ。そのため、観音堂にはなんとも開放的な雰囲気が漂っている。
もともと「定林寺」の観音堂は朱塗りだったというが、長い年月にわたって雨風にさらされてきたためか、今はくすんだ渋い色合いに変化。外陣に立ったときに内陣や天井を見て、建物が朱塗りだということに気づく。

内陣の入り口には扁額を中心として、その左右の欄間に鳳凰の透かし彫りが施されている。
また、吹放の外陣は角材を格子に組んで、その上に板を張った格天井になっており、格縁内の格間には達磨を中心にして花鳥が描かれているとのことだ。

扁額そばの欄間の彫刻(左側)。
御詠歌が記された内陣入り口の扁額。
扁額そばの欄間の彫刻(右側)。
外陣の格天井に描かれた天井画。

他にも内陣の左右の壁は、江戸時代末期の秩父の画家で、狩野派に属した井上青岳が描いた鶴や唐獅子の板絵で装飾。ただし、これらの板絵や格天井の天井画は絵がかなり薄れてきている。

こちらも格天井の天井画。
尾垂木の唐獅子の彫刻。

内陣の背後では念仏回廊が裏堂となっていて、ご本尊の厨子と結ばれた御手綱が壁から垂れ下がっている。お参りの際はこちらの御手綱に触れ、「南無観世音菩薩」と3回唱えよう。

側面の念仏回廊。
観音堂の裏堂。
ご本尊と結縁できる御手綱。

かつて自分を諫めた忠臣に報いるために…

「観音霊験記」の扁額。

観音堂に掲げられた「観音霊験記」の扁額には、林太郎定元にまつわる「定林寺」の縁起が描かれている。

かつて東国に壬生良門という勇将がいたが、横暴だったために周囲は困惑。家臣の林太郎定元が諫めたところ、良門はこれを聞き入れずに定元を追放してしまう。
定元は縁故を頼って秩父へやってくるものの、縁者はすでに亡く、旅の疲れもあって定元の妻は病死。定元自身も妻のあとを追うように世を去る。

1人遺された定元の息子は当時3歳で、空照という僧がこの子を引き取って育てていたが、そんなときに狩りに訪れた良門が定元の子と出会う。自身の過去の行いを悔やんでいた良門は、この子に林源太良元という名を授け、定元の旧領を安堵。さらに、良門は自ら法華経を書き写し、定元夫婦の菩提を弔うために堂宇を建てて、定元の姓名から「定林寺」と名づけたという。

現在の観音堂は江戸時代に建てられたのは確かなようだが、境内にある観音堂の改修記念の石碑には、建立の時期は江戸時代中期とある。一方で資料によっては後期、末期といった記述もあり、情報が錯綜しているようだ。

また、「定林寺」はアニメ「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」(以下、「あの花」)に登場。その聖地として知られ、納経所には「あの花」の絵馬やポスターも並んでいた。

昭和39年(1964)の改修記念の石碑。

「定林寺」はこぢんまりとした、昔ながらのお寺といった風情がある。境内は広くはなく、ワタシたちがお参りや散策にかかった時間は15分程度だった。参拝するだけならばさほど時間がかかるわけでもないので、もしお参りする機会があったら観音堂の裏堂まで行き、ご本尊としっかり縁を結びたいところだ。

境内にある蚕影神社と諏訪神社の社。
「定林寺」の納経所。
「定林寺」の御朱印。

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(お出かけ日:2026年2月21日)
※各情報は2026年3月時点のものです。

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