PR

2026年 大相撲七月場所観戦記~相撲に海鮮、ひつまぶしまで! in 愛知④~

大相撲観戦記
幕内土俵入り

10時40分頃に師崎港を出発したワタシたちは一路名古屋市内へ。少しでも早くIGアリーナに行こうと、今回は素直に知多半島道路を使う。
12時前には本日のお宿に到着し、車だけ先に停めさせていただいたうえで、タクシーを使ってIGアリーナへ。さすがに35℃以上の暑さの中を20分ほど歩く気は起こらなかったもので…。

広告

端っこのイスD席ならではのお楽しみ

12時過ぎにはIGアリーナの近くに到着。遠くのほうに会場が見えてきて、なんだかワクワクしてくる。
しかし、タクシーを降りて通りから歩いても、なかなかIGアリーナまでたどり着かない。
それもそのはず、IGアリーナ自体がかなり大きいのだ。だから、近くにあるように見えて、実は会場そばを走る大津通から意外と歩く。

IGアリーナのすぐそばまで行くと、まるで会場がそそり立っているようだ。こんなに大きな会場は両国国技館やプロ野球の一軍の球場以外では久しぶりに見た気がした。
しかし、こんなところで怯んでいても仕方がない。外は暑いし、一刻も早く涼しいところへ…ということですぐにIGアリーナへ入る。

入場後はまず「大相撲公式ファンクラブ」の抽選会に参加し、髙安のステッカーをゲット。こういうとき、妙に髙安のグッズが当たりやすい気がする。

続いてワタシたちは席の位置を確認。今回、かろうじてゲットできたのは西のイスD席。つまり、会場の一番端っこだ。

こちらの席に座ってIGアリーナ内を見渡したとき、縦に長い両国国技館と比べて横に広いなぁという印象だった。また、イス席が低い位置にあるせいか、土俵が意外と近く感じられた。
他にイスD席の特徴として挙げられるのが、目の前にある電光掲示板。こちらは向正面の背後に設置されていて、イスD席からだと少々気になる。とはいえ、土俵が見えなくなるということはない。

逆に注目すべきは電光掲示板の裏側。こちらには関係者用の通路が設置されていて、そちらをときおり力士が通るのだ。土俵入り前の力士が並ぶようなシーンは見られなかったが、ちょっと得した気分だった。

IGアリーナ、でかっ!!
西のイスD席からの景色。
右側にあるのが関係者用通路。
こういった感じで力士が通過。
ときには付き人を連れた関取も。

絶対に見たかった「横綱 玉の海 展」

入場直後はまだ幕下以下の取組だったこともあり、自分たちの席でちょっと休んだあとはごはんやお酒を探しに館内を散策。
まずはコンコースで何かを…と思って行ってみると、お店はいろいろあるのだが意外とお客さんが少ない。ちょっと不思議に思いつつ入場時にいただいた観戦ガイドブックを見てみると、サブアリーナに大相撲グルメや親方売店SuMALL(すも~る)があるらしい。
実はサブアリーナで横綱玉の海の記念展が開催されていることも知っていたので、さっそくサブアリーナに向かう。

序盤はまだお客さんがまばら。

館内の端っこにあるワタシたちの席から歩くこと数分。サブアリーナに足を足を踏み入れると、こちらもかなりの広さ! その空間でたくさんのファンが買い物や食事を楽しんでいたほか、飲食スペースには力士の姿もちらほら。なんだか妙に熱気がこもった空間だった。

展示会場の様子。
「第51代横綱 玉の海を愛する会」の横断幕とスタッフの方々。

その中で最初に向かったのが「第51代横綱 玉の海 没後55年記念 横綱玉の海 展」のエリアだ。

昭和19年(1944)に大阪府で生まれた玉の海は、戦災で愛知県に移住。二所ノ関部屋に入門後、片男波部屋へ移籍し、昭和34年(1959)の春場所で初土俵を踏む。昭和39年(1964)の春場所で新入幕を果たし、昭和45年(1970)の初場所後、北の富士と同時に横綱昇進。このとき、しこ名を「玉乃島」から改めた。しかし、昭和46年(1971)10月、右肺動脈幹血栓症のため27歳で現役のまま病没。この訃報を知った親友の北の富士は、「シマちゃん(玉の海の愛称)がかわいそうだ」と泣き崩れたという。

玉の海はワタシが生まれる前に亡くなっている。そのため、玉の海の現役時代をまったく知らないし、ある書籍で玉の海が亡くなったときのことについて書かれた記事を読んだ程度だ。
しかし、辛口の名解説で楽しませてくれた北の富士のライバルということで、ワタシの中で玉の海という存在はうっすらと残っていた。そんな玉の海の足跡を知るいい機会を逃す手はない。

展示会は広いサブアリーナの一画でちんまりと開催されていた。
お客さんはあまり多くなかったものの、どこかほのぼのとした雰囲気がエリアの外からでも感じられた。

イベント会場に入ったワタシたちは記帳をすませたあと、展示会を開催している「第51代横綱 玉の海を愛する会」の方々に写真を撮影しても大丈夫か確認。展示されている写真はダメとのことだったが、「私たちの写真なら大丈夫よ~」と笑顔を浮かべながら気さくに応じていただいた。

こちらで展示されていたのは玉の海の手形や化粧まわし、写真などだ。中には北の富士と一緒に写っている写真もあり、ワタシは「おお、北の富士もいる!」と軽く興奮。Kにたしなめられる始末だった。正味5分くらいで回れる小さな展示会だったが、相撲の歴史の一端に触れられたような気がして、ワタシは大満足だった。

38代 木村庄之助だった今岡英樹さんが「51代横綱玉の海記念館」の発展を願い、揮毫したものと思われる看板。ただ、記念館は今のところ未完成のようだ。
力士たちの手形。左から2番目が玉の海?
大鵬や北の富士のものと思われる手形も。
三つ揃いの化粧まわしのうちの2本。

その後、ワタシたちはすぐそばにある大相撲グルメの売店へ。
当初は「力士弁当」や「国技館やきとり」など、両国国技館ではお馴染みにもかかわらず、これまで国技館でほとんど味わったことのないグルメを買おうと意気込んでいた。しかし、売店の列に並んだところで妙にトーンダウン。かつサンドや巻き寿司など、なんとなくおとなしいセレクトで落ち着く。
Kは「国技館やきとり」に期待していたようだが、いただいたあとの感想は「……」だった。そういうグルメである。

この日のワタシたちの昼食。

IGアリーナの雰囲気を味わえただけでも…

さて、肝心の相撲だが…先に言い訳をすると、今回の名古屋旅行までの1か月間は1日も休まず働き、旅立った段階でかなり疲れていた。その結果、名古屋での初めての相撲観戦で熱い雰囲気にどっぷり浸かれたことは覚えているのだが、各取組の細かい記憶はあいまいというわけだ。
写真を見なおしても、誰を撮ったのか思い出せない。安青錦が大関復帰を決めたこと、熱海富士が大の里を相手に堂々と勝ったことは覚えているのだが…。どうやら「第51代横綱 玉の海 没後55年記念 横綱玉の海 展」を見学した段階でワタシの脳は限界だったようだ。

幕内土俵入りを終えて戻る力士たち。
豊昇龍の土俵入り。
琴櫻-宇良の一番。

ただ、結びの一番に向かって広いIGアリーナが徐々に盛り上がっていったのは覚えている。
吊り屋根が視界を遮ってしまうからか、最上段の席は開放されていなかったが、今の相撲人気を考えると、最上段を開放してもチケットは売れてしまいそうな気がするくらい会場は熱かった。

弓取式のあと、ワタシたちは退場。両国国技館で観戦するときのように力士の出待ちをする体力はもはや残っておらず、地下鉄を使ってお宿までまっすぐ帰るのであった。

相撲に海鮮、ひつまぶしまで! in 愛知⑤【貝料理専門店 貝しぐれ 名駅店】」へ

旅行記「相撲に海鮮、ひつまぶしまで! in 愛知」の一覧はコチラ

(お出かけ日:2026年7月21日~7月23日)
※一部を除き敬称略させていただきます。
※各情報は2026年8月時点のものです。

タイトルとURLをコピーしました