【音楽寺】基本情報
松風山 音楽寺
■住所:埼玉県秩父市寺尾3773
■宗派:臨済宗南禅寺派
■本尊:聖観世音菩薩
■駐車場:あり
■電話:0494-25-3018
【御朱印受付 基本情報】
■受付時間:8:00~17:00
※11月~2月は16:00まで
※12:00~12:30は昼休憩
■定休日:なし
■御朱印料:500円
※2巡目以降は200円



平安時代の天長年間(824~834)に慈覚大師が開いたといわれる寺院。このとき、小鹿が現れて慈覚大師を山の上へ案内したことから、近辺には小鹿坂の地名が残る。また、秩父札所を開創した十三権者がこの地の松風を菩薩の音楽として聴いたともいわれ、それが寺名の由来となった。荒廃した時期もあったが、応永19年(1412)に円福寺の二世である南岩天陽が再興。江戸時代の正徳年間(1711~1716)に、別の場所にあった小鹿坂観音堂が現在の場所に移される。明治17年(1884)に秩父事件が起きた際には、高利貸しの横暴に激怒した農民が音楽寺に入ってから秩父市へ乱入したという。江戸時代中期に建てられた観音堂は方三間(1辺が約5.5m)の方形造り。本尊の聖観世音菩薩は一木造りで高さは81cm、室町時代の作といわれる。
Kとの秩父札所巡りで31番目に訪れたお寺。
埼玉県道208号 秩父停車場秩父公園線の終点であり、埼玉県道72号 秩父荒川線と交わる「秩父ミューズパーク北口」交差点を西に進んだ先に「音楽寺」はある。
秩父市街から向かう場合、秩父公園橋(ハープ橋)を渡ったら「秩父ミューズパーク北口」交差点をそのまま西へまっすぐ進み、山を上っていけばOKだ。
境内に入ると目の前に納経所があり
「音楽寺」をお参りする際は、「埼玉トヨペット 秩父グリーンミューズパーク(秩父ミューズパーク)」の最北端にある百花園駐車場を利用可能で、ワタシたちもこちらに駐車した。
百花園駐車場から「音楽寺」までは歩いて数分だ。「音楽寺」の納経所が正面に見える道の両側には、宿泊施設と思しき建物が数軒立ち並んでいる。ただ、これらの建物はどれもひっそりとしていて、営業しているかどうかはわからなかった。
参道を抜けて境内に入ると、正面に「音楽寺」の納経所が立っている。こちらの納経所はかつて客殿だったという。観音堂は納経所の前を左へ曲がり、その先の石段を上ったところにある。
こちらの納経所に置かれた「寺ピアノ」は「音楽寺」ならではだ。「寺ピアノ」はお寺の方に声をかければ誰でも弾くことができる。
また、納経所のそばには白梅やしだれ桜が植わっている。ワタシたちが訪れたときは、ちょうど白梅が咲きはじめたところで、かわいらしい花を楽しめた。
納経所やしだれ桜の前を通り、赤い鳥居がまぶしい小さな稲荷神社の前を過ぎると、観音堂へと続く石段がある。こちらの石段は段数はあまり多くないものの意外と急なので、ワタシはしっかりと手すりにつかまって上った。
秩父の歴史を見守ってきた鐘楼の鐘
「音楽寺」の観音堂の周辺には手水舎や鐘楼をはじめ、六地蔵や御影松、石碑や石灯籠などが点在している。
高さ120cm、直径69.7cmの鐘楼の鐘は市指定の有形文化財で、聖観音、不空羂索観音、十一面観音、如意輪観音、千手観音、馬頭観音の順に6観音が鋳造されている。
こちらの鐘は鋳造されたときにひびが入っていて、それを再鋳したもののよい音が出ず、江戸時代の明和5年(1768)に旧材を再鋳したのが現在の鐘だという。
また、明治17年(1884)には、高利貸しや政府の悪政を批判し、減税や借金の据え置きなど貧民の救済を訴えた農民が武装蜂起。これが世に言う秩父事件である。
このとき、自由民権思想に接していた自由党員が中心となって、税金や借金に苦しむ農民とともに困民党を組織。官側と交渉するものの、官側にこの懇願を拒否されたため武装蜂起を計画する。
そして、秩父困民党は軍2大隊を編成しつつ、五か条の軍律を定めて蜂起すると、翌日には秩父郡内を制圧。蜂起参加者は最盛時8000人とも10000人ともいわれたが、数日で秩父困民党の指導部は崩壊して鎮圧された。
秩父困民党が蜂起して大宮郷(現在の秩父市内)になだれ込む際、「音楽寺」の鐘を打ち鳴らしたという逸話が残っている。また、昭和53年(1978)には困民党決起100年を記念して、境内に秩父困民党無名戦士の墓が建てられた。
屋根が張り出して大きく見える観音堂
「音楽寺」の観音堂は方三間(1辺が約5.5m)なので決して大きくはない。しかし、耐久性を高める二十垂木の屋根が大きく張り出しているため、実寸よりもかなり大きな印象を受ける。
また、建物は正面、左右の正面側1間(約1.8m)を吹放にし、朱塗りの高欄がついた廻縁が設けられているのも特徴だ。
このほか、正面の欄間、柱の外側に突出した木鼻などに施された花の彫刻にも注目。職人たちが腕を競い合っているようで、見ていて楽しかった。
一方、内陣と外陣の間にある桟唐戸には花鳥の彫刻がある。桟唐戸の上には「観音堂」と彫られた額が掲げられ、こちらを中心に千社札が貼られており、それだけお参りする人々が多いことを窺わせた。
また、外陣の片隅には歌手のポスターや音楽関係者の名刺などがびっしりと貼りつけられた掲示板がある。中には「音楽大会出場」といった願いも書き込まれ、寺名が寺名だけに「音楽寺」は音楽に携わる人たちにとってはお参りしておきたいお寺なのかもしれない。
また、観音堂にある「観音霊験記」の扁額には、室町幕府の管領・畠山基国の家来だった内山源蔵の話が描かれている。
中国地方の武将である大内義弘との戦が起きた際、源蔵も出陣。このとき、年老いた母が「音楽寺」の本尊である聖観音の御影を源蔵に渡した。
源蔵がこの御影を兜の中に収めて戦いに赴くと、御影のご利益で源蔵は何度も難を逃れたうえ手柄も立てられたので、戦のあとで母とともに出家して観音を供養したという。
ちなみに、「音楽寺」の前身である「小鹿坂観音堂」は室町時代に建立され、「音楽寺」は観音堂のある峠を下ったところに開創。「音楽寺」が「小鹿坂観音堂」の別当になったという歴史がある。こちらの「小鹿坂観音堂」が江戸時代に移されたのが現在の観音堂だ。
「小鹿坂観音堂」跡地の近くに立つ十三権者の石仏
観音堂の周りには他にもいろいろと見どころが多い。
まず目につくのが埼玉県の天然記念物に指定されている御影松だ。こちらの松は1本の枝だけが横に長く伸びているのが大きな特徴。その根元あたりには学問の神様である菅原道真を祀った小さな天満天神社が立っている。
また、日本百観音霊場巡拝記念碑とお釈迦さまの足跡を刻んだ仏足石も観音堂のそばにある。このほか、さまざまな石碑が境内にあった。
これで「音楽寺」の散策は終わらない。なぜなら、観音堂から山を少々登ったところに十三権者の石仏があるからだ。
十三権者とは秩父札所の開創に関わった閻魔大王、倶生神、花山法皇、医王上人、性空上人、白河法皇、徳道上人、良忠僧都、通観法印、善光寺如来、妙見大菩薩、蔵王権現、熊野権現のこと。
十三権者の石仏までは観音堂から歩いて片道5分ほど。道は観音堂の右手から山の斜面のほうに続いている。ところどころに案内板もあるので迷うことはないはずだ。
十三権者の石仏のところまで向かう際、観音堂の裏手の斜面から秩父市街のほうを望むと武甲山が見えて、広々とした景色を楽しめるようだ。「ようだ」というのは、ワタシは観音堂のほうばかり見ていて、武甲山も入った写真を撮り忘れたからだ。
また、十三権者の石仏の近くには「音楽寺」の前身である「小鹿坂観音堂」の跡地がある。そちらには今も小さな祠があるようなのだが、ワタシは気づかずにスルーしてしまった。
十三権者の石仏の周囲にはさまざまな木が植えられていて、木によっては「幸福の黄色いハンカチの木」といったような名前がつけられている。「なぜこの名前!?」というものが多かったが、どの名前にもなんだか勢いが感じられて面白かった。
「埼玉トヨペット 秩父グリーンミューズパーク(秩父ミューズパーク)」の駐車場から納経所~観音堂~十三権者の石仏と回って、ワタシたちは45分ほどかかった。実際、境内もけっこう広い。
「音楽寺」をしっかりと散策したい場合は、時間に余裕を持って行動したほうがいいだろう。時間をかけて回れば「音楽寺」のさまざまな魅力に気づけるはずだし、逆に急ぎ足でお参りだけすませるのはもったいないお寺だとワタシは思う。
< 「秩父札所22番 童子堂」へ
「秩父札所24番 法泉寺」へ >
「秩父札所34観音霊場巡りガイド」へ >
(お出かけ日:2026年2月21日)
※各情報は2026年3月時点のものです。











































