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我が横道を往く in 山梨①【法蔵寺】延命地蔵尊とともに刻みつづける悠久の歴史

旅行記
法蔵寺

11月、ワタシはむちゃくちゃ忙しく、明らかにストレスが溜まっていた。
これはガス抜きをしないとまずいと思ったものの、ワタシの仕事が落ち着く12月になると、今度はKのほうが忙しいという。
一緒に出かけられそうもないなら旅行はよそうかとも考えたが、このまま次の忙しい時期に突入して、それを乗り越える自信もない。というわけで、ワタシは仕事が一段落したあとで一人旅を急きょ計画。
こういうとき、まず最初に思い浮かぶ行き先が山梨だ。なんといっても家から近いものでねぇ…。

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下車する駅をいきなり変更?

12月14日。この日は朝から雨がしょぼしょぼと降っていた。
一応、昼からは晴れるという予報だったが、傘を差さずに出かけるのはちょっと厳しい。そのため、折りたたみ傘を片手に家を出る。

列車に乗り、高尾駅でJR中央線からJR中央本線に乗り換えたあとのことだ。
列車が山あいを抜けていくとき、ワタシの近くの窓がガタガタと音を立てている。
近くに座っていたおばちゃんも気になったようで、窓を見たときに何気なく目が合った。
このとき、はっきりと言葉にしたわけではないのだが、「うるさいですねぇ」「風が強いんですかねぇ」といったノリの会話を目顔で交わす。
その後も「うるさいですけど、仕方ないですねぇ」といったノリで、何度か目顔での会話があった。
おばちゃんは大月駅あたりで降りたのだが、その際に会釈をしていただき、ワタシも会釈を返す。根拠はまったくないのだが、このときにワタシは「今回はちょっといい旅になるかも」と、ふと思った。

ただ、ワタシの乗る列車が山梨に入っても雨が止む様子がない。
それどころか、どんどん霧が濃くなっていく。勝沼ぶどう郷駅を過ぎたあたりから霧が少しずつ晴れてきたものの、一時はどうなることかと心配になるほどだった。

この日、ワタシは最初に「展望の社 差出磯大嶽山神社」へ行こうと思っていた。こちらの神社の最寄り駅は山梨市駅である。
しかし、大月駅を過ぎたあたりでワタシはふと気づく。「展望の社 差出磯大嶽山神社」は山梨市駅のひとつ手前の東山梨駅からでも歩いて行けるんじゃないか、と。
調べてみると歩いて30分ほどで、山梨市駅から向かうのとほとんど変わらない。ならば…ということで東山梨駅で下車。そうしようと決めたのは、それこそ列車が東山梨駅のひとつ手前の塩山駅を通過したくらいのタイミングだった。
この気ままさこそ一人旅の醍醐味と言えば聞こえはいいが、今になって考えるとあまりに気まぐれすぎるなぁ…。

列車から見た塩山付近。かなり霧が濃い。
中央本線の東山梨駅。

ただ、何も考えずに東山梨駅で降りようと思ったわけでもなかった。マップアプリの某先生で所要時間を調べているとき、ルート上に「法蔵寺」というお寺があったからだ。こちらのお寺についての予備知識はまったくなかったが、せっかくなのでお参りしていくことにする。

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歴史を感じさせる石仏やお地蔵さまが境内に

「法蔵寺」までは東山梨駅から歩いて15分ほど。中央本線に沿って甲府方面に向かい、途中で山梨県道204号 休息山梨線にぶつかったら西に進むだけなので、道順もシンプルだ。
雨が止んで軽くなった足取りで山梨県道204号を歩いていると、道はそのまま山梨県道216号 万力小屋敷線に入り、やがて「法蔵寺」が見えてくる。県道216号側から見えたのは本堂の裏側だったが、それでもけっこう立派なお寺のように見えた。

【法蔵寺】基本情報

大乗山 宝憧院 法蔵寺
■住所:山梨県山梨市小原西377
■宗派:浄土宗
■本尊:阿弥陀如来
■駐車場:あり
■電話:055-322-9699

山門そばの古い石塔。

江戸時代の寛永19年(1642)、超誉傳公上人によって開山。浄土宗になる以前は延命地蔵尊を祀る寺院として知られ、本尊として崇拝されていた。延命地蔵尊は鎌倉~室町時代に制作されたと推測され、室町時代の文安元年(1444)に信徒が地蔵尊を動座しているとき、保田庄宮村(現在の小原)にて地蔵尊が重さを増して動かせなくなったとの言い伝えが残る。このとき、領主の田保氏に願い、堂宇を建立して延命地蔵尊を安置。江戸時代の寛永17年(1640)に小原地区で起きた火災の際、堂宇は焼失したものの、地蔵尊と朱の前机「朱漆牡丹唐草文獅子透彫卓」だけは類焼を免れ、寛永19年(1642)に徳川家の浄財を受けて堂宇を再建。江戸時代の末期から昭和51年(1976)頃まで、毎年11月23日に催される祭りは活況を呈していた。祭りは時代とともに徐々に縮小したものの、令和6年(2024)に「小原延命地蔵祭り」として復活している。

本堂は近代的な建物だが、逆に山門はけっこう古そうだ。それに山門の周囲には、明らかに時を経た石塔や石仏がいくつも並んでいる。さまざまな時代が混在しているようで、ちょっと不思議な雰囲気だった。
あとで調べたところによると、開山は江戸時代だが、そもそもお寺の起源となった延命地蔵尊にまつわる出来事は室町時代にあったらしい。

「法蔵寺」の山門。
山号が刻まれた山門の扁額。
山門そばの忠魂碑。
山門そばの六地蔵。
山門近くの石碑や石仏。
かなり古いもののようだ。
右の石仏はうっすらと姿が残る。

実は「法蔵寺」の山門はもうひとつあり、本堂の正面に立派な鐘楼門が立っている。こちらからお寺の境内に入る場合は、山梨県道216号の南側にある道から入らなければならなかったようだ。
とはいえ、初めて訪れたワタシにそんなことはわからず、山梨県道216号沿いにある山門から入った。
こちらの鐘楼門は下部の門の部分は新しいものの、鐘楼の部分は古い木材を使っている。もしかしたら改修時に使える木材をそのまま流用したのかもしれない。

「法蔵寺」の鐘楼門。

本堂でお参りしたあとで境内を散策してみると、ところどころに石仏やお地蔵さまが点在していることに気づく。本堂のように新しいものもあるが、中にはかなりの年月を経た石仏やお地蔵さまもあり、ここで改めて歴史の古いお寺であることを実感した。

何気なく立ち寄った「法蔵寺」だったが、これまで積み重ねてきたお寺の歴史を残そうという地元の方々の思いが感じられて、ちょっとばかり厳粛な気持ちになる。
このときワタシが抱いた思いが、実は今回の旅の重要なテーマに躍り出てこようとは想像もしていなかったのだけれども…。

「我が横道を往く in 山梨」一覧

①【法蔵寺】延命地蔵尊とともに刻みつづける悠久の歴史
②【展望の社 差出磯大嶽山神社】

(お出かけ日:2025年12月14日~12月15日)
※各情報は2025年12月時点のものです。

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