「法蔵寺」でのお参りをすませたワタシは、そのまま山梨県道216号 万力小屋敷線を西へ進み、次の目的地である「展望の社 差出磯大嶽山神社」(以下、「差出磯大嶽山神社」)を目指す。「差出磯大嶽山神社」までは歩いて15分ほどだ。
道はそのまま山梨県道205号 三日市場南線に入り、笛吹川に架かる亀甲橋の手前まで来たところで川の向こうに小山が見えてくる。もしかして、これからあの山を登るのか…?
古今和歌集の頃から知られていた「差出の磯」
今回、ワタシが「差出磯大嶽山神社」に行こうと思ったのは、岩山の上にある境内から富士山が拝めるという情報を入手したから。「たまにはインスタ映えする写真でも撮ってみるか」というわけだ。
しかし、ご存じのようにこの日は曇天。目を凝らしたところで富士山は見えない。だからといって計画を変える気も起こらず、ワタシはマップアプリの某先生に従って「差出磯大嶽山神社」を目指した。
そんなノリだけに予備知識はないに等しく、亀甲橋を渡って「差出の磯」に着いたときも、そこが数多くの詩歌を残した景勝地だったとはまったく気づいていなかった。
【差出の磯】基本情報

「関東の富士見百景」のひとつに選ばれている景勝地。笛吹川や兄川、弟川沿いに大きな一枚岩の岩山がある。川のほうから見ると岩山が差し出ていることや、甲府盆地が雲海になった際には海辺の磯のように見えることから、「差出の磯」と名づけられた。奈良時代から数多くの文人墨客が訪れ、平安時代の古今和歌集に「しほの山 差出の磯に 住む千鳥 君が御代をば 八千代とぞ鳴く」と詠まれたほか、松尾芭蕉の「闇の夜や 巣をまとはして 啼千鳥」、与謝野晶子の「いにしへの 差出の磯を 破らじと 笛吹川の身を 曲ぐるかな」をはじめとした詩歌や絵画が残る。また、亀甲橋から根津橋はコチドリやイカルチドリなどが生息しており、保護区になっている。
県道205号沿いに大きな石碑がいくつも並んでいるだけでなく、岩山の斜面にも祠や石碑が点在。中には草に埋もれた、かなりの年月を経た石碑もある。さすがのワタシも「ここは何か違うんじゃ…」と感じるものがあった。
決定的だったのは、石碑を愛おしそうに眺めている女性を見かけたことだ。その方は大きな石碑の前に立ち、そこに刻まれた文字を熱心に読んでいた。もしかしたら、この方は普段から俳句や短歌を嗜んでいるのかもしれない。
ちなみに、ぶらりとやってきたワタシといえば、岩山の斜面にある祠や石碑を見て、「おお、何やら古そうだぞ」止まりである。俳句や短歌を嗜むにはまだまだ修業が足りないようだ。
江戸時代にコレラの流行を予言したヨゲンノトリ
「差出の磯」をちょっと回ったところで、ワタシは改めて「差出磯大嶽山神社」へ。マップアプリの某先生は国道140号に出て、神社の北側から入るよう案内してくれたのだが、笛吹川沿いにあたる岩山の南側に色鮮やかな鳥居が見える。
こういったものを目にしてスルーするようなワタシではない。何やらピーピー言っている某先生を思いきり無視し、そちらのほうに行ってみると岩山を登る階段が頂上まで続いている。おまけに階段には鳥居がずっと続いて…。こりゃ、行くしかないでしょう!
階段の段数は数えなかったが、感覚的には150~200段くらいじゃないかと思う。
急ではないし、手すりもあるので上りやすい階段だった。
階段を上ったところにあるのが「笛吹稲荷神社」だ。
こちらのご祭神は宇迦之御魂大神、大宮能売大神で、商売繁盛の他に五穀豊穣や産業興隆、芸能発達などのご利益があるのだとか。まずはこちらでワタシは手を合わせる。
「笛吹稲荷神社」でお詣りをすませたあと、いよいよ「差出磯大嶽山神社」の境内へ。
このあたりまで来ると、拝殿のほうから「ぷわ~ん」と雅楽が聞こえてくる。「あら、もしかしてご祈願でもやってるのかしら?」と思ったのだが…。
【展望の社 差出磯大嶽山神社】基本情報
展望の社
差出磯大嶽山神社
■住所:山梨県山梨市南1376
■主祭神:大山祗神
■駐車場:あり
■電話:0553-22-0081

拝殿を前にして立ったとき、雅楽は神楽殿のあたりから聞こえてくる。よく見るとスピーカーが設置されていて、雅楽はそこから流れていた。「…あら?」とは思ったが、どなたかがご祈願しているわけでもないとわかり、気を取り直してお詣り。そのあとで家族のためにお守りをいただく。
そして「差出磯大嶽山神社」からの眺望であるが…。
晴れている日には拝殿の前にある鳥居の向こうに富士山が見えるようだが、この日はあいにくの曇り模様。富士山やその手前の山々どころか、町並みさえ霞んでしまっている。
ただ、いろいろとお詣りしているうちにワタシはけっこう満足してしまい、実は富士山のことを忘れていた。お守りをいただいたあとで、「あ、そういえば…」と思い出したくらいだ。どうやらワタシはインスタ映えとかにあまり縁がないようである。
ちなみに、なぜ「差出磯大嶽山神社」に伝説上の鳥であるヨゲンノトリの大絵馬があるかというと、どうやら江戸時代に暴瀉病(コレラ)を予言したヨゲンノトリの資料が山梨県に残っているためのようだ。
「山梨県立博物館」に保存されている「暴瀉病流行日記」によると、加賀国(現在の石川県)に姿を現したヨゲンノトリは「来年の8~9月に、世の中の9割の人々が亡くなる災いが起こる。我らの姿を朝夕に仰いで信心する者は必ず難を逃れるであろう」と予言。実際に翌年の8~9月に長崎からコレラが蔓延し、日本中に広がったという。
「暴瀉病流行日記」を書き残した人物であり、市川村(現在の山梨市)の名主だった喜左衛門はこの予言を思い出し、コレラが蔓延した際に昼夜を問わず念仏を唱えたところ、9月にはコレラが収束したのだとか。そういったことがあってヨゲンノトリは疫病退散のご利益があるとされ、「差出磯大嶽山神社」でも祀られるようになったようだ。
また、神楽殿の近くには「蚕影山神社」の祠もあり、こちらでももちろんお詣り。
「蚕影山神社」は稚産霊神、埴山姫命、木花開耶媛命がご祭神で、茨城県つくば市の総本社から明治33年(1900)に勧請。かつて山梨県では養蚕業が盛んで、こちらの神社は県内の蚕影山信仰の総取り締まりを務めているのだとか。
他にも「蚕影山神社」の祠の近くにはネコの像が置かれていた。これは養蚕業ではネズミの食害を防ぐ必要があり、ネズミ除けのご利益にあやかるためのものなのかもしれない。
そして、「蚕影山神社」の前にはかわいらしい撫で狛猫の像があり、写真を撮ったら撫でてから帰ろうと思っていたのだが…この記事を書いているときに撫で忘れたことに気づく。なんたるイージーミス…。
岩山の片隅にひっそりと立つ「亀田社」
小さな神社も含めてひととおりお詣りしたところで、ワタシは「差出磯大嶽山神社」の北側にある国道140号のほうへ向かって坂道を下る。
その途中、道端に「窪田空穂の歌碑→」と記された案内板が…。案内板の矢印が指し示すほうに道があるようにも思えなかったし、そもそもワタシは窪田空穂という人物を知らない。あとで調べたところによると窪田空穂は歌人で国文学者とのことだったが、このときは何も知らないまま寄ってみることにする。
山道を上ること数分。岩山の上にある木々に囲まれた狭いスペースに、窪田空穂の歌碑がポツンと立っていた。他に、ほぼ正方形の小さな建物もある。
近くにあった石碑を確認したところ、こちらの建物は「亀田社」という社であり、創建や詳細については定かではないものの、古くから「こんぴらさん」として親しまれてきたという。また、明治39年(1906)には近くにあった社がこちらに合祀されたのだとか。
格子の隙間から中を覗いてみると、暗くてよくわからないながらも、確かに何かが祀られているのがわかった。
岩山の中でも寂しい場所にあり、今となっては誰もお詣りに来ないのかな…と思ったが、すべてではないとはいえ、社の周りは落ち葉が掃除されて地面が見える。もしかしたら「差出磯大嶽山神社」の方が今もしっかりと守っているのかもしれない…そう思いつつ、ワタシは「亀田社」の前で静かに手を合わせた。
「差出磯大嶽山神社」とその周囲に点在する小さな神社は比較的新しい一方で、「差出の磯」の斜面にあった石碑からは、これまで重ねてきた月日の長さを感じられた。
特に、木立に囲まれて佇んでいた「亀田社」は、ワタシの中に何か不思議な印象を残した。
この段階ではそれを言葉にできていなかったが、今になって考えてみると、このときのワタシは人々が静かに重ねてきた長い時間に圧倒されていたのかもしれない。
「我が横道を往く in 山梨」一覧
①【法蔵寺】延命地蔵尊とともに刻みつづける悠久の歴史
②【展望の社 差出磯大嶽山神社】時の流れを感じさせる景勝地
③【霊岩寺】
(お出かけ日:2025年12月14日~12月15日)
※敬称略させていただきます。
※各情報は2025年12月時点のものです。




































