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秩父札所12番【野坂寺】十三佛尊像をはじめ山門や数多くの仏像など見どころが満載

秩父札所巡り
野坂寺
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【野坂寺】基本情報

仏道山 野坂寺
■住所:埼玉県秩父市野坂町
 2-12-25

■宗派:臨済宗南禅寺派
■本尊:聖観世音菩薩
■駐車場:あり
■電話:0494-22-1608
【御朱印受付 基本情報】
■受付時間:8:00~17:00
 ※11月~2月は16:00まで
 ※12:00~12:30は昼休憩
■定休日:なし
■御朱印料:500円
 ※2巡目以降は200円

開創年代は明らかでないものの、長享2年(1488)の札所番付では5番札所となっている野坂観音堂が始まりとされる寺院。この観音堂は現在の本堂の裏にある丘の中腹にあったといわれ、寛保元年(1741)に野坂観音堂の別当を務めていた野坂寺と合併し、現在の形になった。山門は入母屋二十垂木の八脚門で、江戸時代の享保年間(1716~1736)に建立。明治時代には火災に見舞われたが、この山門のみ残る。入母屋造りの本堂は間口8間半(約15.4m)で、昭和49年(1974)に再建。本尊である一木造りの聖観世音菩薩は平安時代中~後期の藤原期の作といわれ、高さは約1.6m。また、旧盆の8月16日には盆送りを開催。このときには境内に高さ16mもの供養塔が組み立てられ、1000個以上の行灯が灯される。

Kとの秩父札所巡りで26番目に訪れたお寺。
国道140号を南下し、西武鉄道・西武秩父線の西武秩父駅を過ぎたのち、西武秩父線の高架下をくぐる手前あたりで東に曲がった先にある。
近くを西武秩父線だけでなく秩父鉄道・秩父本線が走っていることもあってか、ワタシたちが訪れたときに汽笛らしき音が遠くから聞こえた。

数多くの仏像が鎮座する黒塗りの山門は存在感が圧倒的

駐車場から木々に囲まれた緑豊かな参道に入り、その道を抜けた先に見えてくるのが楼門形式の山門だ。
黒塗りの山門の左右には築地塀が続き、とにかく重厚な雰囲気に満ちあふれている。本堂の背後に山がそびえているのも、その重々しさを増している要素のひとつのように思う。
前述のとおり、こちらの山門は江戸時代のもので、300年ほど前の建築物になる。

駐車場から山門までの参道。

廻縁のある山門の楼上(2階)には上がれないが、そちらには金胎両界を表した二体薬師と五菩薩像が安置されているとか。

遠くからでも迫力が伝わる。
斜めから見た山門。
正面にある「佛道山」の扁額。
山門の出入り口。
山門の裏側。
並ぶのは阿弥陀如来など?

山門の通路に入ると、まず目に入るのが大きな三面観音の「あずかり観音」。
その頭上に掲げられた額には以下のように記されている。

右側 怒り・腹立ちを預けて 平常心にもどりましょう
中央 病気・痛みを預けて 楽しい日々を過ごしましょう
左側 煩い・悩みを預けて やすらぎの心にもどりましょう

さらにさらに、あずかり観音の周りにはたくさんの木彫りの仏像が!
これらの作品は秩父に暮らし、鉄工業を営んでいた髙橋敬秀さんの作品なのだとか。髙橋さんは独学で彫刻の技を身につけたようだが、とてもそのようには見えない見事な仏像ばかり。
昭和6年頃から戦後にかけて、芦ヶ久保~横瀬~秩父間で炭や食料などを運んだといわれる「怪力 柳生の牛」に観音様が乗っている「十牛観音」なんて迫力満点だった。 

昭和初期から戦後にかけて活躍した怪力 柳生の牛。
あずかり観音の裏の観音様。
風神。
山ノ神。
雨神。
雷神。
松の木やお地蔵さまなど。

また、山門の側面、トイレの横には烏枢沙摩うすさま明王の像も鎮座。
これだけたくさんの仏像が並んでいると、山門をくぐるだけでも満足できてしまいそうだ。
他にも山門正面の左右には花頭窓があり、そちらの中には十王像が並んでいる。そして、ここに十王像の写真がないということは…ワタシは見逃したということである。
2026年の午歳総開帳のときには忘れないようにしないと…!

トイレの前の烏枢沙摩明王。

本堂は竜をはじめとした向拝の彫刻に注目

山門を抜けた先に広がっているのは、さまざまな花や草木が植えられた、まるで庭園のような趣きの境内だ。
ワタシたちが訪れた5月上旬は藤が見頃だったが、他の季節でもそれぞれの彩りを見せてくれそうだ。
ただ、ワタシたちの経験からすると、季節の花を楽しみたければ冬は避けたほうがいいと思う。
これまで訪れた札所で「春だったらなぁ…」「秋ならばさぞ…」と何度痛感したことか…。

納経所前の藤棚。
納経所前から見た本堂と藤棚。
こちらは手水舎の裏あたりの藤棚。
境内にひっそり咲いていたケマンソウ。
十三佛尊像のお堂近くの牡丹。
参道の白藤。

境内はところどころに木が植えられていることもあり、一見すると狭いように思える。
しかし、実際はけっこう広い。仏像やお堂なども点在しており、ワタシたちは散策に約70分かかったほどだった。

日光ヒバの向こうに立つ本堂。
山門の近くにある手水舎。

間口8間半(約15.4m)の本堂は「白華殿」の別名がある。秩父札所の中でも大きい部類に入るだけあって、近くで見るとかなりの迫力だ。
向拝にある竜をはじめとした彫刻も同様で、こちらもお参りのときには見逃さないようにしたい。
なお、本堂は明治39年(1906)に焼失したあと、昭和49年(1974)に以前の姿に再建されるまで小さなお堂が本堂とされていたとか。

向拝の彫刻が見事だ。
竜の彫刻。
天女の彫刻。

「観音霊験記」の縁起によると、甲斐の商人がこの地で山賊に襲われたとき、商人が持っていたお守りの中の観音像が光を放ち、山賊の目を塞いでしまったという。

山賊の首領が商人に詫びると目は開いたものの、首領は仏罰を恐れて仏道修行に励むことに。
その姿に感動した商人が故郷から聖徳太子の作といわれる観音像を持ってきて、山賊の元首領と協力してお堂を建てたのが「野坂寺」の始まりだとか。

本堂の向かって左側に掲げられた「観音霊験記」の扁額。
「観音霊験記」の扁額。

また、本堂の入り口に鎮座している「ふれあい観音」はにこやかで柔らかい表情が印象的だ。
本堂前の日光ヒバのそばには六地蔵が3体ずつ並んでいるが、こちらも表情が豊かなお地蔵さまばかり。ただ、なぜか1体だけあらぬ方向を向いていた。こういうのを見ると、どうしても映画「エクソシスト」のリーガンを思い出してしまう。なんとも失礼な人である。

本堂の前に鎮座するふれあい観音。
六地蔵。1体だけそっぽを向いている。
六地蔵。みんな表情が豊か。

本堂の周りに点在する数々のお堂や仏像

本堂でお参りし、御朱印をいただいたあとは恒例の境内散策。
この日はあいにくの雨だったこともあり、ゆっくり回るのはどうかな…と思っていたが、前述のとおり散策にかかった時間は70分。それだけ見どころが多いということだ。

本堂の向かって左側にある納経所。
「野坂寺」の御朱印。

まず本堂に向かって右側にあるお堂には、子授け観音菩薩と子育て呑龍上人を祀ったお堂がある。
こちらでは観音様に子どもが授るようお願いし、子どもを授かったら呑龍上人に子どもの成長をお願いする。

呑龍上人のお堂の入り口。
呑龍上人を祀ったお堂。

呑龍上人のお堂から境内の奥、墓地のほうに行くと、そこには弁財天を祀ったお堂もある。
こちらのお堂の前に鎮座しているのが「おそうじ小僧」さん。最初に見たときは「かわいいなぁ」と思ったが、改めて写真を確認すると目つきが鋭く、おまけに裸足…。けっこう個性的な小僧さんだ。

弁財天のお堂の前のおそうじ小僧。
けっこう表情が怖い…。
弁財天を祀ったお堂。

続いて弁財天のお堂の奥のほうに、並んで鎮座しているのが不動明王と「やすらぎ観音」だ。
背後に墓地があるせいか、まるで墓地を守っているような印象があった。

かなり厳めしい表情の不動明王。
不動明王の隣に立つやすらぎ観音。
やすらぎ観音の足元のお地蔵さまたち。

さらにその奥、木々に囲まれながら鎮座しているのが、鳥獣を扱う業者によって立てられた鳥獣供養観音菩薩だ。

ひっそりと立つ鳥獣供養観音菩薩。
足元には動物たちの姿が。
最近はペットの供養をする人も増えたとか。
本堂改修を記念して建てられた歌碑。

また、境内には本堂改修時の記念碑のほか、埼玉の文化財発掘に貢献した稲村担元の文化功労を顕彰して建てられた達磨石碑もある。
稲村坦元(1893~1988)は曹洞宗の僧であり、郷土史家として活動。埼玉県の郷土史研究を牽引した人物だ。

本堂再興の記念碑。
一筆画の達磨石碑。

この他にも境内には神社や石碑、お地蔵さまなどが点在。木々の間に古い石碑やお地蔵さまが佇んでいることもあり、うっかり見逃しそうになることもしばしばだった。

ひっそりと佇む十三佛尊像を祀ったお堂

そしてもうひとつ、「野坂寺」で絶対に見逃せないところがある。
それは十三佛尊像が祀られているお堂だ。こちらの建物は山門と納経所の間の木々の奥にひっそりと立っている。
なお、お堂の入り口上部に「十三尊仏像」と記された看板が掲げられているが、こちらの記事では堂内にあった案内に準じて「十三佛尊像」と記している。

木々の奥にある十三佛尊像のお堂。
トイレの裏あたりになる。
入り口にはこんな札が。

堂内に入ると、十三佛尊像を奉納した髙橋敬秀さんの功績が記された案内や新聞記事があった。髙橋さんは亡きご両親の追善供養のため、家業の傍ら独学で仏像作りを学び、8年の歳月をかけてこれらの仏像をこつこつと刻んでいったという。

ここまで読んでいただいた方は気づいたかもしれないが、山門で参拝者を迎えてくれる数々の仏像も髙橋さんの作品だ。
彫刻家としては有名でないかもしれないが、髙橋さんの手がけた仏像には確実に魂があった。

十三佛尊像の由来。
髙橋さんの功績を記した新聞記事。

「野坂寺」は本堂が比較的新しいこともあり、脈々と続く歴史を感じる機会は少ないかもしれない。
しかし、髙橋さんの作品をはじめとした「野坂寺」で出会う仏像、さらには石碑や小さなお堂などには、それこそ1000年以上にわたって受け継がれてきた秩父札所巡りへの人々の思いが詰まっているように思う。
もしかして、ワタシは「野坂寺」で次代に伝えるべきものを改めて教えてもらったのかもしれない。

秩父の農村の婦人。十三佛尊像とともにあり。

秩父札所34観音霊場」一覧 >

(お出かけ日:2025年5月6日)
※一部を除き敬称略させていただきます。
※各情報は2025年6月時点のものです。

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